老婆をよく焼く

Text by Yumeki Kobayashi

2024年4月14日、豊岡市日高町松岡で『松岡の御柱祭り(まつおかのおとうまつり)』が開催された。この祭りでは、毎年4月14日、十二所神社前の円山川河川敷で夕刻、老婆に見立てた藁人形を焼き捨てる『ばば焼き』という伝統的な儀式が執り行われるのだという。コロナ禍の最中は実施が見送られていたため、今回の「ばば焼き」は4年ぶりの開催となった。

時刻は18:00頃。
河川敷に到着すると、竹や藁などの素材を使って組み上げられた巨大な鉢形の土台が姿を現した。
当日午前中から地域の有志たちによって準備されたものだという。
頂上には「御柱松」と呼ばれる細い木が一本立ててられており、そこに小さな藁人形が一つ、括り付けられている。
顔のあたりには白い布が巻かれており、布の上からは人の顔の絵があしらわれている。
この人形が老婆なのだそうだ。
周囲には着火用の藁の束が積まれている。
河川敷には既に30人ほど地域住民が集まっていた。
ブロックに腰を下ろしている人もいれば、ガードレールの向こう側からカメラを回している人もいる。
警察と消防隊も付近で待機しており、老婆を燃やす準備が着々と進められていた。

運命に対して笑顔すぎる老婆人形

18:30頃日没。
土台の周りに男性が10人ほど談笑しながら集まり始めた。
それぞれが藁の束を手に取る。
一人が藁の束に火を着火し、勢いよく鉢部分のあたりに投げ込む。
一投目を合図に、続いて他の参加者も次々に火のついた藁を投げ込んでいく。
まるで運動会の玉入れのような光景で、近くから声援の声も聞こえる。
あたりに煙が立ち込めていく。
投げ込まれた火種はすぐに「御柱松」に燃え移り、下から上へ燃焼を始める。
火は間も無くして頂上の老婆の藁人形に燃え広がった。
煙と炎の光が老婆への視線を遮る。
人形は燃えやすそうな素材だったので、きっとあっという間に老婆は燃え尽きてしまったのだろう。
土台からは少し離れていたため、決定的瞬間は視認することはできなかった。

それから約1時間、竹と藁の土台が焼け崩れるのを河川敷に集まった大勢が静かに見守った。
途中、土台の火が当たっていない箇所に火を移すために、数人の男性が縁に紐を引っ掛け、大きく揺すったりなどして、満遍なく土台を燃やし尽くそうと試みていた。
土台が倒れてきたりなどということはなく、ただただゆっくりと丸焦げになり、火は徐々に落ち着いていった。
男性の一人が消防隊に合図を出し、消防士3人がかりでがポンプ車から引かれたホースを担ぐ。
ホースから勢いよく水が放出される。
地面の残火に丁寧に水を吹きかけていく。
消火完了を確認ののち、「暗くならないうちに帰りましょー」と声がかり、集まった人々はまばらに解散していった。

19:30頃、奇祭は終了した。

そもそも、なぜ老婆に見立てた人形を焼くのか。この奇妙な儀式の発端は但馬地域に伝わる古くからの伝承に由来する。

1221年、雅成親王まさなりしんのうは幕府の手に捕らえられ、但馬のむろの朝倉(豊岡市高屋たかや)に移された。親王様には、幸姫と言うお妃がいたが、但馬に連れてくることができなかった。幸姫は親王様と別れた後、子供ができていることがわかり、すぐにでも親王様に知らせたいと思い、但馬へ侍女を連れて出向いた。
 途中、いつまでこの旅が続くのか、あのばばどのに尋ねてほしいといった。侍女はばばに豊岡までの距離を聞いたところ、「高屋なら、二日かかる府中、七日かかる納屋、九日かかる九日市、十日かかる豊岡があって、その先に人をとる一日市がありますで」といい、去っていった。
 幸姫は、落ち込みながらも明るい声で「死後必ず、南風となって高屋へ達しましょう」と川へ身を投げたが、侍女の叫び声に人々が駆けつけ、助けられた。
 その後、子供が生まれ幸姫はすぐに息を引き取った。村人は侍女から老婆の話を聞いた。その夜、南風が強くなり大雨が降り、円山川まるやまがわは大水に。侍女は人々が大水に気をとられている隙に川へ身を投げた。それから大雨は降り続け、洪水になった。人々は、幸姫様のたたりと、嘘をついた老婆を引きずり出し、火あぶりにして焼き殺し、そして幸姫様の御霊を産土神とし、十二所神社に祀った。4月14日には、お宮の前で、わらでつくった老婆の人形を焼いて幸姫様の霊を慰める行事が続いている。

出典:ザ・たじま 但馬辞典 WEB版

老婆が伝えた目的地まで到達するための日数は実際のところ、そこまでかからないのだそう。老婆は意地悪で日を盛って伝えたのだという。老婆が直接的な原因なのかどうかは分からないが、結果的に幸姫、侍女はそれぞれ亡くなり、老婆を火炙りにした結果、洪水も無事解決したそうだ。
BURNING BABA POWER。不思議な伝承である。

殺伐とした鎌倉時代の逸話ならではの登場人物の行動は、現代人からするとかなりヒステリックな情動に映り複雑な気分になる。祀られた幸姫の霊は毎年どんな表情でこの光景を見つめているのだろうか。

人型のオブジェが焼かれるといえば、ニコラス・ケイジ主演の映画『THE WICKER MAN』のラストシーンや、アメリカのネバダ州、クロック砂漠で毎年開催される大規模フェスティバル『バーニングマン』などのイメージを想像するが、この但馬の『ばば焼き』は、静かに老婆の燃焼を見守るという淡々とした祭りであった。現場自体が厳かな空気感に包まれているというわけではなく、4年ぶりの開催ということもあってか、少し覚束ない雰囲気が確かにあった。その絶妙な温度感で見立ての老婆が焼かれているというショッキングな光景が成立していた点に、この祭りの面白さを感じた。

但馬に伝わる強烈なネーミングの奇祭、『松岡の御柱祭り・ばば焼き』

来年も開催された際は、是非実際に足を運んで目撃してみてほしい。

松岡の御柱祭り – 但馬の民俗芸能

Yumeki Kobayashi

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